フランス委任統治時代
1914年オーストリア・ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の継承者、皇太子フランツ・フェルディナントが、ボスニアの首都、サラエボで暗殺された(サラエボ事件)に端を発した第一次世界大戦。
第一次世界大戦は、ヨーロッパの君主制の消滅をもたらし、旧世界秩序を決定的に破壊、オスマン帝国も分解した。
オスマン帝国の支配下にあったシリア地方は南北に分割され、北部(シリアとレバノン)はフランスが、南部(パレスチナとヨルダン)はイギリスが受任国となった。
北部は1920年に「フランス委任統治領シリア」となったが、1926年に比較的キリスト教徒の多い地中海沿岸部の一部を「フランス委任統治領レバノン」として分離した。
フランスは双方を直接統治したが、現地住民による民族主義運動は、分割統治を批判すると共に即時独立を求めてフランスの統治に激しく抵抗した。
レバノンは、1943年11月22日に独立したため、1944年1月1日をもってこの地区における委任統治は終了した。
なお、シリアは、1946年4月17日にフランスの承認を得て完全独立を達成し、委任統治は終了した。
シリアの南部は1920年に「イギリス委任統治領パレスチナ」となり、イギリスは、1921年4月にヨルダン川以東を分離し「イギリス委任統治領トランスヨルダン」を発足させ、アブドゥッラー1世を首長(アミール)に任命して間接統治をすることとした。
アブドゥッラー1世はイギリスとの独立交渉を経て、トランスヨルダンが「国」であることをイギリスが承認し、イギリスの権限を外交・軍事・経済政策の監督のみに縮小することが合意され、その結果、1923年5月に「トランスヨルダン首長国」が誕生した。
その後、委任統治が正式に終了する1946年5月5日をもって「トランスヨルダン王国」(現ヨルダン・ハシミテ王国)と改称した。
一方、ヨルダン川以西の「パレスチナ」は、イギリスの直接統治下に置かれ、1948年5月14日まで委任統治が継続された。
振り返ると、第一次世界大戦の結果が、アラブ・イスラエル問題を生み出している一つの要因かもしれない。